浅草人力車・吉兆屋

BLOG

2017.10.28ブログ

人力車のお兄さんザックリブログ(浅草寺の始まり)

浅草に来る目的って観光だったり、食べ歩きや買い物、人それぞれ違うと思いますが、浅草と言ったら何をイメージしますか~?
雷門、浅草寺、鰻、天ぷら、寿司、人力車(^^)/
挙げたらきりがないですね!


金龍山浅草寺

今日は、浅草寺の観音様についてです。

まず、浅草寺の歴史ですが、今から約1400年前にさかのぼります。

推古天皇36年(628年)3月18日
隅田川(旧名・宮戸川)のほとりに二人の兄弟・檜前浜成(ひのくまのはまなり)と檜前竹成(ひのくまのたけなり)が魚を捕って暮らしていました。

いつものように隅田川で漁をしていましたが、魚がまったく捕れませんでした。
すると、二人が仕掛けた投網に一体の像が引っかかっていたんです。
これが、浅草の観音様だったんですね!

しかし、二人の兄弟は仏像にまったく興味ないし、魚を食べなきゃ暮らしていけません。
なんと、仏像を川にポイっと投げてしまうんです!
「花より団子」、「仏像より魚」ですね!

引き続き、何もなかったように場所を変えて漁を再開!
すると、また投網に仏像が引っかかっていたんです。二人の兄弟は再び仏像を川にポイっと。
何度か場所を変えて漁をするが網に引っ掛かるのは仏像なんです。
さすがにこれにはびっくりし、兄弟は仏像を持って帰りました。


檜前浜成と檜前竹成

兄弟は、困った時の村長さんなら何でも知っている。「村長さんに見せよう!」
土師中知(はじのなかとも)さんに仏像を見せたんです。
(土師中知さんの名前は諸説あり)
村長さんは驚きました。二人が隅田川から引きあげたのは聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)だったんです!
やがて、村長さんは自分のお家をお寺にして観音様の礼拝供養(らいはいくよう)に生涯を捧げたそうです。
めでたしめでたし!

これが、浅草寺の始まりです。

観音様を川から見つけた二人の漁師と観音様を祀った村長さんのおかげで浅草寺の歴史は始まったんですね!!

ちなみに、観音様が現れた日、一夜にして辺りに千株ほどの松が現れ、三日を過ぎると天から金の鱗(うろこ)をもつ金龍が竹林の中に現れたと言われています。
その事から、浅草寺の山号は「金龍山」なんですね。
昭和33年に本堂再建を記念し、3月・10月・11月に行われる「金龍の舞」は、この伝説に関係しているんですね。

ここで、気になる観音様のご利益の発表です!
日本には“八百万の神”と言う言葉がありますが、観音様もたくさん存在します。
観音様にも得意分野があるんです!
聖観世音菩薩様は、この世に生きる人々の苦しみを取り除いてくれます。
観音様は、様々な姿に変身し人々の前に現れると言われていますので、もしかしたらあなたの近くにも観音様がすでに現れているのかもしれませんね!
“ご利益”で言えば、人々の苦しみを取り除いてくれるので、私の考えだと悩み事を相談するのがいいと思います!
おそらく、浅草寺1400年の歴史の中でたくさんの人たちが観音様に助けられた事でしょう。


ちょっと気になるのが、浅草寺はお寺ですが境内にお墓がなく、お墓参りをしている檀家(だんか)さんを見かけた事がありません。
浅草寺のお参りですが、昔はお願い事や抱負、悩み事などをお願いします。
そのお願い事が叶ったり、悩み事が解決したら浅草寺に寄付などをしていたそうです。

浅草寺が、あんなに大きいのは、たくさんの人々のお願いが叶い、たくさんの寄付があったから大きくなったのかも知れません。
そうだとしたら観音様のご利益はとってもすごいんですね!

パナソニックの創始者・松下幸之助さんも浅草寺に寄付をされた一人です。
慶応元年(1865年)大火事で雷門は焼けてなくなってしまいました。焼けてしまった雷門は再建されずに、実に95年間雷門は存在していない期間があったんです。
しかし、昭和35年(1960年)にパナソニック(旧・松下電器)の創始者・松下幸之助さんが現在の雷門を再建してくれたそうです。その頃から雷門の提灯には、「松下電器」と書いてあるんですね!


6代目の大提灯

幸之助さんは当時は関節痛でしたが、それを聞いた清水谷郷恭順貫首(当時の一番偉いお坊さん)が観音様にお願いした所、関節痛が良くなったそうです!その、お礼として雷門を再建するための寄付をしたそうです。
現在も、松下グループ有志により、10年に一度提灯を新しくしたり、雷門北側に安置されている金龍・天竜を寄付されています。

雷門の提灯について詳しく知りたい方はこちら 人力車のお兄さん ザックリブログ 雷門の提灯

1865年の火事で風神雷神もほとんど燃えてしまいましたが、常盤堂雷おこし本舗・穂刈恒一氏の寄付により風神・雷神の修復をしたそうです。


昭和35年(1960年) 再建当時の写真


昭和35年(1960年) 再建当時の写真 2

最近だと、浅草寺の五重塔の先端にある「相輪」が折れ曲がってしまったり、雷門の屋根瓦が1枚落下したために修復工事の寄付を募集していました。
ちなみに五重塔の回収工事には6億円かかるそうです。すごいかかるんですね。

浅草寺の瓦は安全のために軽いチタン製ですが、雷門は昔の雰囲気を残すために重い瓦でした。
今回は、9500枚の瓦を全部チタンに変えるそうなので、雷門はシートで隠れます。
しかし、観光に来た方ががっかりしないようにシートに雷門の絵が!


瓦修復中の雷門

遠くから見たら、修復中には見えません!
すこしでも、雷門が楽しめるようにとの事だと思います。

軍曹も、人力車をこの先も健康に引けるように願いを込めて雷門修復工事の寄付を少額ながらさせて頂きました。
寄付のお礼に、扇子を頂きましたが、勿体なくて使えそうにないので我が家に飾ってあります!!


扇子

扇子には、「江戸名所尽」金龍山浅草寺雷門の図が印刷されています。
よく絵を見ると五重塔が今の場所とは違うんですね。
昔は東側にあったんです。

現在は、修復工事は終わってるので、新品になった雷門の屋根が見えますよ!
浅草寺にお参りをしてお願い事が叶ったら、お礼参りにもう一度お参りに訪れるのもいいと思います(^o^)

浅草寺の始まりのお話でした。

 

軍曹
浅草人力車・吉兆屋